「欠けている」という幻想

前回の記事では、
「自立とは、ひとりで頑張ることではない」という視点から、日々の意識の整え方について綴りました。

今回は、そこから一歩進んで、
私たちがとても当たり前のように抱いている
「自分には何かが欠けている」という感覚について
少し立ち止まって見つめてみたいと思います。

不足感欠如感は、気づかないうちに
私たちの選択や行動、人間関係の土台になっています。

でももし、その感覚そのものが
「事実」ではなかったとしたら?

この感覚の正体を知ることは、
「自分を責める人生」から、
「自分を信頼する人生」へと戻っていく
大切な入り口になるのかもしれません。

💎 分離という思い込みが生み出した感覚

私たちはとても自然に、
「自分には何かが足りない」
「どこか欠けている」

そんな感覚を抱きながら生きています。

それはあまりにも当たり前すぎて、
疑うことすらありません。

でももし、
その“欠けている感じ”そのものが幻想だったとしたら?


💎「人は欠けている存在」という前提

「人間なんだから、完璧じゃなくて当たり前」
「誰にだって欠けているところがある」

こうした言葉は、
一見すると優しさのように聞こえます。

けれど同時に、私たちの意識の奥深くに
こんな前提を刷り込んできました。

・私は不完全
・私は足りない
・だから何かを埋めなければならない

この前提に立ったまま生きると、
人生はいつも「足りないもの探し」になってしまいます。


💎 欠けている感覚はどこから来たのか

では、この
「欠けている」という感覚は、
いったいどこから来たのでしょうか。

シンプルに言うと、
分離した”と感じているからです。

私たちは、
「ひとつだったところから分かれた」
「大本から離れてしまった」
そんな感覚を、確かに体験しています。

でも、本当は、
この「分離」そのものが事実ではありません。

💎 分離は事実ではなく「体験」

私たちは、
実際に分離したわけではありません。

「分離している気がする」
という体験をしているだけ。

その体験を
真実だと思い込んだとき、
欠けている感覚は
とてもリアルになります。

これが、
イリュージョン(幻想)です。


💎 創造性が幻想を現実に見せている

私たちは本来、
とても強い創造性を持っています。

その創造性が
分離の思い込みに使われると、

・足りない世界
・欠けている自分
・埋めなければならない人生

という物語を、
現実のように体験することになります。

欠けているという感覚は、
意識が創り出した映像なのです。


💎 欠けていると信じるほど、力を預けてしまう

「私は足りない」そう信じた瞬間から、
私たちは自分の力を外側に預け始めます。

でもそれは、
本当に力がないからではありません。

力があることを、忘れているだけ。


💎 まとめ

「欠けている」という感覚は、

  • 分離しているという思い込みから生まれた
  • 事実ではなく、体験されている幻想
  • 創造性が作り出したイメージ

そして、

欠けていない”と気づいたとき、
私たちは静かに自分の力を思い出す。

「探し続ける人生」から、
「思い出す人生」へ。

その転換点として、
この視点がそっと役に立てば嬉しいです。

  • URLをコピーしました!
目次