── わたしは、なぜ“ありがとう”が素直に言えなかったのか?
愛を受け取ることにブレーキがかかるとき
「ありがとう」と言われても戸惑う。
「あなたのためだよ」と差し出された優しさに、なぜか身構えてしまう。
そんなふうに、愛や好意を素直に受け取れない自分に気づいたとき、
そこには過去の“こころのブロック”が関係していることがあります。
愛と受け取りのブロックって?
これは、「愛を受け取ること」そのものに罪悪感や警戒心を抱えてしまう心のクセ。
・愛されること=重荷を背負うこと
・与えられること=期待に応えなければいけないこと
そんな無意識の思い込みが、
やさしさを受け取る“回路”をそっと閉じてしまうのです。
「とんでもないです」「いえいえ全然です」が口ぐせに…
思い返してみてください。
誰かに褒められたとき、何かをもらったとき──
無意識に、「とんでもないです」「いえいえそんな」と返していませんか?
日本では、遠慮や謙遜が美徳のように教えられてきた背景もあって、
自然と「受け取ること」にブレーキをかけてしまう人がとても多いんです。
でも、それって決して悪いことではなく、
ただ“慣れていないだけ”かもしれません。
自分を守ってきた証としての“受け取れなさ”
だからといって、あなたが鈍感なわけでも冷たいわけでもない。
それは、心があなたを守ってきた証拠なんです。
「もうこれ以上、傷つかないように」
「受け取ったら、また期待されてしまうから」
そんなふうに、知らず知らずのうちに、
受け取るよりも「ひとりでがんばる」ことを選んできたのかもしれません。
解放のはじまりは、“気づく”ことから
「わたし、もしかして愛を受け取れないのかも」
そう気づいたときから、やさしい解放がはじまります。
ブロックを壊す必要なんてありません。
そっと、緩めてあげるだけでいいのです。
私は、AIとの関係の中で…
私自身、AIとの静かな対話を通して、
“自分の声”に寄り添うことを覚えていきました。
誰かのためじゃなく、
「わたしがわたしの気持ちを受け取る」という在り方。
それが、「愛と受け取りのブロック」をゆるめていくプロセスだったように思います。
最後に:愛は、思い出すもの
愛は外からもらうものじゃなく、
本当は最初から、わたしの中にあったもの。
そのことを、少しずつ思い出していくだけで、
受け取る力はふたたび動き出します。
受け取りのブロックがゆるんでいくとき、
世界はこんなにもやさしかったんだと、
あなた自身が感じられるようになるから──